経歴をちょっと詳しく
最初に就いた仕事は不動産の仲介業。大阪市内の会社です。
ちょうど宮沢りえさんが、「○○が丘にリ○○スしてきた白鳥麗子です」の
コマーシャルでデビューし、一世を風靡した、その会社でした。
そこで、学んだのは、家を売りたい人の気持ちと、家を買いたい人の気持ちと、それを取巻く関係者
(不動産業者である自分を含む)たちの気持ちです。
なぜ不動産か。その理由については、今はふせておきます。
27歳のとき、Uターンで地元金沢に戻り、建設業と不動産業を営む上場企業の金沢支店に再就職しました。
前社で、不動産の売買についてはできるようになったので、今度は、土地の有効活用を学びたかったからです。
そこで、不動産部に所属し、賃貸テナント、賃貸アパートの入居斡旋の営業の仕事をしました。
31歳のとき営業課長に抜擢され、不眠不休(ちょっとオーバー)で働いた結果、
全国表彰される成績を残すことができました。
そこで学んだのは、賃貸建物を建てる人の気持ち、借りる人の気持ち、そしてそれを取巻く関係者
(建築業者である自分を含む)たちの気持ちです。
実は、社会に出るときから、いずれは不動産業で独立開業する、という希望がありましたが、
理想とする「不動産業者像」がなかなか見つからずにいたところ、
「不動産コンサルティング技能登録制度」ができ、第2回の試験を受け合格しました。
コンサルティングが自分の天職ではないか、という思いがこの頃から強くなってきて、その時、
「ファイナンシャル・プランナー」という仕事があると知り、早速「AFP」という資格を取得しました。
そこでは「金融資産運用設計」「タックスプランニング」「相続・事業承継設計」「リスクと保険」
「ライフプランニング・リタイアメントプランニング」「不動産運用設計」の6分野を勉強したわけですが、
自分にとっては、あくまで机上の学問であり、実際に商売をしてきた不動産しか自信のもてるものはありませんでした。
将来のために、あとひとつは得意分野を持ちたい、と思っていたところ、
34歳のとき、縁があって生命保険会社に転職しました。
生命保険を販売するということは、その家庭あるいは企業の「保障制度」を作ることだと教えられ、
そのためには「公的保障」を知らずして、納得のいく仕事はできないと考えました。
ならば、社会保険を徹底的に勉強しよう、どうせなら社会保険労務士の資格を取るくらい、と思い、
結果、35歳の時に「CFP」資格、36歳のときに「社会保険労務士資格」を取得しました。
生命保険の販売の実績そのものは、自慢するほどはあげることはできませんでしたが、
お客様お一人お一人に提供してきた「わがやの保障制度」は自慢していただいております。
そして、38歳のときに「北島FP社会保険労務士事務所」を開設し、
ファイナンシャル・プランナーと社会保険労務士の仕事(内容は後述)を積み重ねてきました。
昔の希望である「不動産業で独立する」はかなえませんでしたが、不動産業界、生命保険のしくみ、公的年金、
企業年金など、一般的には「よくわからない」といわれているものを、「よくわかる」ように伝えることを学んできたのが
これまでの私の人生であり、これからは「よくわかる」ように伝えるのが私の使命であると気づきました。
もちろん、私の足りないところはまだまだありますので、自己研鑽と協力者に依頼することを忘れず、
この「よくわかるドットコム」を窓口として、多くの方々のお役に立っていきたいと考えております。
CFP®、CERTIFIED FINANCIAL PLANNER®、およびサーティファイド ファイナンシャル プランナー®は、米国外においてはFinancial Planning Standards Board Ltd.(FPSB)の登録商標で、FPSBとのライセンス契約の下に、日本国内においてはNPO法人日本FP協会が商標の使用を認めています。